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45歳からの老後 in コスタリカ

『45歳からの老後』

毒蛇?

立ち並ぶ重機たち

「こっ、こらっ!!、SAVAっ!!。」
慌ててSAVAの首輪を捕まえようとしますが・・・、逃げられてしまいました、・・・寸前のところで・・・。
口に何やら得体の知れない焦げ茶色の毛の固まり?、ピクピクと動く・・・、どうやら生き物らしいものを銜えて家の裏側に走りこんで行ってしまいました。

此処、ココの町は相変わらずの建設ラッシュが続いています。いや、何か工事現場の中で暮らしているような気さえしてきます。町のそこ此処で大規模な工事が行われていて、ノンビリとしていたココの町にはそぐわぬ大型ダンプや重機などが、大音響を蹴立て狭い道を我が物顔で走り回っている有様です。
昨年、コスタリカ国内で家屋・建物の建築件数が、首都であるサンホセを抜いて、ココの町も勿論有する最北の田舎県、グアナカステ県が断トツの一位になってしまいました。
そして、私たちが引っ越してきた2年前には、ココの町周辺で100程の外国人向けのコンドミニアムが約400万円で売り出されていたのですが、なんとっ!!、今や2500万円以上もするように成ってしまったのです。
それでも飛ぶような売れ行きらしく、ココだけでも今現在、約200戸のコンドミニアムが建設中です。
知らぬ間にこの辺りもいろいろと様変わりしていて、余り通らない裏通りや行き止まりの道、森や林だった所、山の斜面などが、あっという間に面影なく変わってしまっています。
道行く人々の顔ぶれも、主流であるカナダ人・イタリア人・アメリカ人・ドイツ人のほかにも様々な国の方々が増えてきているようです。
不思議なもので、諸外国の多くの方々がコスタリカの自然を気に入り、グアナカステのような田舎で暮らそうとすることに対し、コスタリカに住んでいる日本人の99%は首都であるサンホセとその周辺で暮らしているという面白い現象・・・。
何だか象徴的ですよね。
最近、ココの町にマリーナ建設のために大阪から日本人技師?の方が入らしているそうですが、まだ?お会いしていません。
また、個人で家を建てている外国人、土地を売って入ったお金で自宅を建て替える現地の人々も相まって、本当に過密建設ラッシュ状態で、町の建築資材屋は大儲け!!。
従業員とのカウンター越しの対面式でのやり取りで商品を注文するのですが、午前中などはいつ行っても長蛇の列、やっと順番が回ってきても売り切れ続出で、手ぶらでの帰宅もしょっちゅうといった状態。
私たちのような個人で家屋の修繕や改築をする人々にとっては、鉄筋・鉄骨・セメントなどの資材から、グラインダーのデイッスク、ボルト、釘に至るまで大手の建設会社に買い占められ、価格は跳ね上がるし手には入らなくなる・・・、という状態がこのところ続いていて非常に困っています。
さらにドルとの為替の影響で、物価も上昇・・・。いやはや・・・、まるで一昔前の何処かの国とそっくりですね。

我が家の西側の工事も着々?と進んでいて、現在もパワーシャベル・ブルトーザー・など5機の重機とダンプカー、それに建設に携わる人々の車が、すぐ裏手まるで私たちを威圧するかのように、これ見よがしに勢揃いしています。
数ヶ月前の青々とした草木や花々などが生い茂っていた風景はすでに姿を消しました。
パワーシャベルが木をなぎ倒し、ブルトーザーが地面を削り取り、跡に残った不毛の地に、一体何に使うのでしょう・・・?、現在直径2mほどのドーナツ型のコンクリートの塊をいくつも作製しています。
夢でも見ていたんでしょうか?、チュパカブラなんて、もう遠い昔の話になってしまったようですね。
いやっ、それどころではないです、ソロやスカンク、アルマジロなども、もう我が家の庭にまったく姿を見せなく成ってしまいました。

少し前のことです。
そろそろ雨季に入るんじゃないかなっ?、などと少しづつ肌や空気で予感を感じ始めた頃のことでした。
庭においてある梯子を改良した作業台の上で、アイロン台の作製に夢中になっている私のすぐ横、雨季中にモロヘイヤやオクラを植えている小さな畑のほぼ真ん中で、SAVAが何やら興味ありげにクンクンと、ある一部分を執拗に嗅ぎまわっています。
雨季は近いと言ってもそれはまだカラカラの乾期中、庭中見渡しても緑草が生えている所などほんの僅か。毎日カミさんが水をやっている植木やバナナの木などの周りと、この小さな畑の中央部分に僅かにクローバーに似た?白い綿毛を付ける雑草が残るだけです。
その雑草の中に鼻を突っ込んではクンクン・・・、時折少し驚いたように後ろへ跳ね退いたり・・・。どうやらSAVAが目敏く何かを見つけたようです。
私も興味をそそられ、その雑草が少し盛り上がった部分へ近づいて、SAVAの鼻先を観察してみると・・・。
ビクンッ!!、ビクンッ!!。
まるで雑草が痙攣でも起こしたかのように、ビクンッ!!ビクンッ!!と何者かが下から雑草を突き上げています。
「アチャーッ!!、ヤバイッ!!。蛇だ!!。」
慌てて物置に鋤を取りに戻り、大きな毒蛇じゃないことを祈りつつ《嫌だな〜〜〜〜〜っ!!。》恐る恐る畑へと戻りました。
そして未だビクンッ!!、ビクンッ!!と痙攣を繰り返す雑草の端を鋤で・・・、ソ――――ッと・・・、いつでも逃げられるよう屁っ放り腰で・・・、持ち上げてみました・・・。
とっ、その時です!!。
傍らに居たSAVAが、突然!!、疾風の如くそこへ頭を突っ込むと、何やらモゾモゾと動く物?、焦げ茶色の毛の塊?を口に銜え今にも走り去ろうとしています。
「こっ、こらっ!!、SAVAっ!!、・・・待てっ!!。」
慌ててSAVAの首輪を掴もうとしますが・・・、私の右手は虚しく空を切ります。 あっという間に家の裏手に姿を消したSAVAに大声で悪態を吐きながら、それでももう一度雑草を鋤でそ〜っと持ち上げてみると・・・。
「ネズミ・・・?、モグラ・・・?。」
SAVAが銜えていったと同じ焦げ茶の毛の塊がもう一つ。
雑草の下の僅かに窪む地面で、必死に体をビクンッ!!ビクンッ!!と跳ねるように体全体を反り返す小動物が目に映りました。
「ほっ・・・」、取り合えず蛇ではなくて一安心。
鋤をそ――――っとその動物の下へ忍ばせ、ゆっくりと持ち上げてみます。

野ウサギの赤ちゃん

「ウサギ・・・ッ?、の赤ちゃん・・・?。」
そうです!!、生まれたばかりの野うさぎの赤ちゃんではありませんか!!。
夜な夜な、我が家の庭によく遊びに来ていた野うさぎが、隣の工事で棲家を奪われ、行き場を無くしてしまったのでしょう。
そして出産場所を探して、我が家の畑のごく僅かに残っていた青草の中に2羽の子供を産み落として行ったようです。
発見したときはもちろん昼間ですし、余りに目立つ場所なので親ウサギの姿はありません。
まだ目も開いていない5cmほどの愛らしい姿の割には、生まれたばかりでも野生を思わせる凄い力で跳ねようと体を震わせています。
焦げ茶色の産毛の体に、鼻筋に僅かに白い筋が入った、少しだけ耳が長いことと短くて毛がフサフサの尻尾で何とかネズミやモグラと区別できました。また、こんなに小さくても、すでにウサギ特有のあの可愛い前歯がしっかりと生えているんですね。
残念なことに、1羽はSAVAが死なせてしまって・・・、(最初は食べてしまったかと思っていたのですが、余りに私が怒ったもので、翌日、すまなそうに死んだ子ウサギを私の目の前まで銜えてきて、それをそっと地面に置いて何処かへ行ってしまいました。)。
ですが、このままではもう1羽も生きのびる事は不可能でしょう。
仕方なく?(カミさんが異常に気に入ってしまい)家で飼うことにしました。
日本で夜店で売っていたウサギを飼ったことは有りましたが、如何せん目も開かない生まれたての野うさぎを飼うことは始めて。
目薬の容器に牛乳を入れ、それを手で人肌まで暖めてから飲ませたり、4日目ぐらいには人間の赤ちゃん用の野菜の離乳食を舐めさせたりもしました・・・、1週間目にはようやく目も開いて・・・、ですがその3日後の朝、お気に入りのカミさんのふかふかのスリッパから這い出て・・・、痩せこけた姿で死んでいました。
カミさんが見ないうちに庭の片隅にそっと埋葬しておいたのですが・・・。
ですが、カミさんその日はショックで1日中ふさぎっぱなし。良かれと思い、いろいろと試行錯誤で餌を与えたことで死なせてしまった、と思い込んでしまって・・・。
生まれて数時間しか経っていない野生の動物を育てる・・・、なんて最初から無理な話だとは判っていたのですが・・・。

ココの海岸で催された砂像のコンテスト

昨日、カミさんが日本へ向かって一足先に帰国の途に付きました。
厳しくなりましたね―――――――――――――っ!!、出入国審査。
先日のアメリカもそうですが、まさかコスタリカのリベリア空港までがこんなに厳しくなりとは・・・。
家から車で15分ほどのこのリベリア空港、私たちが最初に住み始めた頃は、このリベリア空港は現在のように国際空港ではなく、単なるコスタリカの鄙びた地方空港でしかなかったのですが、今ではデルタ、アメリカンエア、コンチネンタル、ユナイテッド等押しも押されぬコスタリカ第2の国際空国に成ってしまいました。
と、言ってもほとんどがアメリカへ向けて飛んでいる飛行機で、わずかに一社、カナデイアンエアだけがカナダへ向かうという一風変わった空港なんですが・・・。
今でも原野にぽつんと有る田舎空港に変わりは無いのですが、どうやら内容が変わってきたようです。
今まで何度もこの空港を使ってきて、余りのいい加減さが返って有難かったのですが、今回、カミさんの出国に当たって、出国カードにアメリカの滞在場所を書き込む欄に、例によって割りと名が通ったエアポートホテルの名前を書き込んでおいたのです。もちろん住所などわからないのでそこは空欄のままで。
トランジットの場合、いつもホテルなど予約しないで適当に空港のインフオメーションボードから探して電話することにしているので(わずか半日程度の滞在ですので安いに越したことはないですから)、ましてやそんなことで咎められたことなど無かったので、いつも通りに・・・。
ところが、今回そのことで「アメリカの滞在先のホテルの予約証明書が無いとエアチケットとは出せないっ!!。」と言われてしまったのです。
今までそんな話聞いたことがありません!!。これにはカミさん猛然と抗議!!。
子一時間もすったもんだしたでしょうか、最後にはこの係員に日本大使館まで電話させてようやく何とかチケットを出してもらいました。
このところ、中国人による日本の偽造パスポートでの不正出入国が増えているようで、東洋人系が極端に少ないこの空港では私たちのような人間は狙い撃ちされるようです。
以前も、私たちに判らないように日本大使館へ私たちの身元確認の電話が入ったそうです。
(後に知り合いの大使館員に教えてもらいました。)
今回もカミさんが最初にパスポートを見せた瞬間から別扱いで、パスポートのすべてのページをコピーされ(新しいパスポートが間に合わなかったので)、他の人たちとは別のカウンターで、まるで尋問するかのように根掘り葉掘り、あれこれ質問攻めに遭ったようです。
航空会社にここまでする権利があるのでしょうか・・・?、て、怒りたくも成りますよね、こう毎回毎回だと・・・。
確かにアメリカのテロ対策と相俟って、アメリカ経由の路線は出入国が非常に厳しくなってきたようですね。
来週は私も日本へ向けて出発します。
仕方なく、今回はトランジットの際のホテルを予約しておくことにします。

昨日大雨が降り、近所のマンゴの大木が倒れて電線を切断し、一日中停電でした。
近隣の工事のため、水道が止まり、やっと出たと思ったら水道管に多量の空気が混入していてブシュ!!ブシュブシュ!!ドカドカドッカン--------------!!。トイレのタンクが爆発してあたりはびしょ濡れ。
修理しようと元栓を締めに庭へ・・・。
ポロッ!!??。
コックが腐蝕して・・・。
こんなんばっかり・・・。

6月2日の「やるマン」聞いてくださいね〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!。