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先輩と後輩の倫理/「支えたいと思わせる関係がいちばん」南木威範さんの場合

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 よい先輩、よい後輩とは、どんなものだろう?

 この連載は、あ総研・研究員の熊谷が「先輩と後輩の倫理」を知ろうとする試みです。アソブロックに入社してからの約一年間、南木さんの話をひと伝手に何度も聞きました。その話のほとんどは、南木さんがやっていた事業について。後輩や先輩に対して、どんな関わりをしていたかはほとんど知らず、尋ねてみることにしました。

 すると、「後悔しかないんだよね。後輩との接し方はうまくいったことがあんまりない」と言う南木さん。そこから聞いたり考えたりしたことを書きました。

いっぱいになってから、本当のコミュニケーションが始まる

 南木 : 部下や後輩に対しては、基本的に「その子には、もともと備わっている力がある」と思っていたんですよ。だって、俺ができているんだから。君らはもっとできる気づきとかきっかけがないだけなんだろうなって

──気づきを生むために、していたことはありますか?

 南木 : 環境に働きかけることが多かったかな。たとえば○さんに対して、心理的不安を持つ子がいたとする。○さんって、いつもちょっとそっけないから、言いたいことがあるんだけど言えない子って結構いたんだよね。

 それがたまっているなと思ったら、わざと自分が○さんをいじったりする。「○さんも、別に大丈夫なんやで」と見せるために、思い切って変なぶっ込みをしてたよ。脇汗かきながら。そうやってかき回して、階層をゆるやかにするのが、自分の役割かなと思っていた。

 おかげで自分と○さんがすごく仲良くなった。だから本当はその子だって仲良くなれるんだよ。そのためのステップを作ってあげるのが、本当の教育なんだと思う。それが自分はできなかった。

──なるほど。

 南木 : くまちゃん(筆者)は、「同僚が増えてきて、どう振る舞うべきか迷っている」と相談くれたけど、真面目やなあと思ったよ。

──そういうこと、考えなかったですか?

 南木 : 考えなかったね。考えられないぐらい、忙しかったのかもしれない。仕事が本当に終わらなかった。仕事ファーストで、ひとを組み入れてやっていくしかなかった。それが自分と仕事をしていた後輩たちにとっては、大変だったのかもしれないね。勢いよくまわる縄跳びに入っていく感じだったのかも。

 制作も営業案件も合わせて、同時進行で20個くらい。とにかく怒涛のように仕事が回っていた「無理やな(笑)」って思いながら、その無理をどうやるかを考えてやるしかなかった。

 幸いなことに、自分は無茶ぶりをされまくった。乗り越えると、ステージが1つ上がるんだよ。上司に「無理っす」と言えるラインもだんだんと見えてくる。それからがコミュニケーションの、本当の始まりなんだと思う。

 後輩とも同じように関係性を作っていきたかったんだけど、自分は相手に対して、密度も量もパンパンに近い、充実した環境を与えられなかった。

 「どうしたい?」「このジャンルの仕事、好き?」と聞いていったのが良くなかったのかもしれない。相手は、自分が何をやりたいか分かってないはずなので。

 それよりはある程度いっぱいにして、向こうから「もう無理です」と言ってきたときに、相談に乗ったりフォローをしたり、そういう方が良かったのかも。でも、そうしてある日、会社に来なくなるとかもあるだろうから、難しいな。

──わたしには、まず仕事でいっぱいになるのが必要かもしれないです。

 南木 : くまちゃんが楽しそうに仕事しているのが大事。そして「くまちゃんを支えたい!」って思わせる関係がいちばんやで。「この人、いつも忙しそうやけど明るい。がんばっている。でも本当はしんどいはずだ、わたしが何かやらなきゃ」って。

 先輩・後輩の関係性って、いっぱいあると思うんだよね。だから、くまちゃんがどうなりたいか。いまのくまちゃんは、会社を背負っちゃうと無理な気がするねん。自分も無理だったから。

 いまのアソブロックは、暇そうやな。それは決定的に思う。よう回ってんなって。新しい組織のあり方とかあるんじゃないの。きっと先輩・後輩とかじゃないんやろうな。 

「いっぱい」の入口にて長めの編集後記

 このインタビュー(というかお茶)は、2025年1月に行いました。「カフェって苦手やねん」と言われながら話した3時間程度のことを書きあぐねていたらあっという間に6月になっていました。

 5か月も経つとずいぶんと状況は変化して、わたしは仕事でいっぱいいっぱいになってきました。すると南木さんが言っていた通り、見える景色も少し変化してきました。

 持ちたくても持ちきれない荷物は、もう持たないか、誰かに頼もうと考えるようになりました(まだ上手にできないので暇なのかもしれません)。気軽に「誰かのために」とかも思わないように、「夢ばかり見てないでまず歩こう」と思うようになってきました。

 いったん置いておいても「あの荷物をいつか持つんだ」「いつかは誰かのためになれるように」と、むしろ気持ちは強くなるんだと知れたのは、うれしいことでした。ただ悠長なだけかもしれませんが、おかげでいまは「身体全部でがんばっても大丈夫」と思えています。

 最近、社長から言われた言葉は「手を動かすこと、寝ないこと。そうしたら仕事は終わるよ」でした。なんてブラックな会社でしょう。そう思われる方もいるかもしれませんが、がんばりたいわたしには、とても前向きに、やさしく沁みていきました。

 「とても忙しそう。何かできることはあるかな?」と思われる自分になれるよう、明るく、もっともっとがんばろうと思います。

(2025年6月10日・執筆)

*この記事は筆者・熊谷が個人的興味でインタビューし、南木さんの承諾なく主観的編集で掲載しております。

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