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個性を出そうとして大失敗! 編集者・土館弘英の新人時代とは。

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「経歴不問、じゃんけんに3回勝てば即採用」のじゃんけん採用にて、アソブロックに仲間入り。企画編集を学び、退職後はフリーの編集者としてカルチャー・エンタメ誌などで活躍。2018年、結婚を機にアソブロックへ“出戻り”。そんな土館弘英氏に、編集者をはじめたきっかけや新人時代の大失敗を聞いた。

聞き手:SAKURA(フリーライター)

 

偶然が重なった“じゃんけん採用”での入社

―まずは「じゃんけん採用」を受けるまでのことを聞かせてください。そもそも何をしていたんですか?

10代のころは、夢が2つあったんですよ。ひとつは学校の先生で、もうひとつはお笑い芸人。なので大学を卒業してからは、養護学校の非常勤講師をやりつつ、放送作家の倉本美津留さんが主宰するお笑いスクールに通っていました。学校の先生はすごく楽しくて、天職だなって気持ちもあったんだけど……お笑いへの興味も捨てきれない。それで26歳くらいのとき、一年間だけ思いっきりお笑いをやってみようと考えて、先生を辞めたんです。

 

―いきなり、思いも寄らない経歴が出てきました(笑)。それで、どうなったんですか?

お笑いスクールで出会った人とグループを組んで、中野の小劇場に出てみたりしたけれど、正直「どうすればいいんだ?」って考えてるだけで、その一年は過ぎちゃいました。言ってみれば、プー太郎ですよね。親には教師を続けてるって嘘をついてたから罪悪感もあるし、いよいよ生活ができんぞ! となっちゃって。それに、お笑いを試すのは一年間だけと決めていたから、知人が紹介してくれたカフェの店長の仕事をはじめたんです。そうしたら、そのカフェを紹介してくれた方がアソブロックの社長の団さんと仲良くて「アソブロックって会社があるらしいよ」と。

 

―偶然が重なった先に、アソブロックが登場したわけですね。

そうです。しかも、じゃんけんに3回勝ったら合格できる“じゃんけん採用”っていうのをやってるらしい。なんか面白そうだから、入る入らないは別としてちょっと行ってみようと思ったわけですよ。で、じゃんけんしたら3回勝っちゃった(笑)。とはいえ、カフェの店長だってすぐには辞められないから、いったんはお断りしたんです。それから半年くらいで身辺整理をして「あのとき勝った件で、改めて入りたいんですけど」と伝え、入社しました。じゃんけん採用なんて試みをやるような会社なら、ぶっ飛んでて面白いんじゃないかなって思ったし。

 

「企画は自分の個性を出す作業」という“思い込み”

―入社後は、どんな仕事をしていたんですか。

当時は携帯サイトが流行っていたころだったので、着メロとか小説とか、携帯コンテンツの仕事が多かったですね。ある会社が新しく携帯サイトをつくると聞けば、企画番長みたいな感じで連れて行かれたりして。

 

―えっ! それまで編集や企画の業務経験ってないですよね?

編集はないですよね(笑)。でも厳密にいえば、お笑い芸人とかカフェの店長時代に、企画はやってました。カフェを紹介してくれた方がいろんな仕事をしているプロデューサーだったから「子どもが携帯でできるゲームの企画を出せ」とかお題を振られて、ばーっと考えて、メールで送る、みたいな。「毎日一本、ビジネスになるような企画を出せ」って言われたこともあるし、わりとスパルタで、アイディア出しみたいなことはしてたんです。

 

―じゃあ、企画を出して具体的に実現していく、みたいなことまではしていなくても、アシスタント的なネタ出しの経験はあったわけですね。

そうそう。クライアントの顔が見えないから、通っても通らなくてもいいや、みたいな気持ちですけど(笑)。ちょっと面白いこと考えてやろうって、大喜利みたいなもんですよね。でもアソブロックに入って、社員として企画をやるとなると、責任が出てくるじゃないですか。

 

―責任が出てきて、企画の質は変わりましたか?

うーん、まぁ「あるもの全部出せ!」みたいなスタイルは変わらなかったですけど(笑)。苦笑いの反応が返ってくるときもあったし、膝を打って「やろう!」というときもあったし。編集会議とかに出席しはじめると、相手の顔が見えて、求められているものもクリアになってくる。だから、無駄打ちは減ったと思いますね。

 

―本当に、ぬるぬるっと企画・編集の道に入っていったんですね。そんなアラサーの新人は「企画」「編集」という仕事について、当時どんなふうに考えていましたか?

なんだろうな……。企画は、自分の個性が出せると思っていました。芸人もそういう部分があるじゃないですか、個性を際立たせて面白さを競うみたいな。芸人時代の承認欲求的な部分が残っていたのもあるし。だから、企画で勝負すること自体は楽しかったんですよね。

 

―「企画」という作業は、自分の個性を出すひとつの手段だったわけですね。

うん。それでお金がもらえるんだったら、夢のようなことじゃないかと思いましたよね。

 

―「編集」という作業はどうでした? コンテンツをつくるために人と人をつなげたり、誰かがつくった成果物をブラッシュアップしたり。

当時は、編集って本当になにがなんだかわかってなかったんですよね。漫画の『編集王』でしか知らない仕事だし……いま思えば、そもそも 『編集王』 に出てくるような漫画誌の編集と今僕らがやっているような編集はだいぶ違う仕事なわけだけど(笑)。なので当時は、どうやら作家さんがいて、編集者はその作家さんの目線に立って、なんなら自分の出版社とも闘うような仕事なのかなってイメージでした。

 

―それは、イメージと実際がけっこう違ったでしょうね(笑)。でもとりあえず、企画は「自分の個性が出せる仕事」。編集は「書く人や作る人に寄り添う仕事」という印象だった。

そうそう。だから入ったばかりのときは、編集マジで向いてないと思ってました。そのせいで、大きな失敗もやらかしてしまうんですよ。ある携帯サイトで某有名作家さんの連載を担当していたとき……いや、いまだったら本当にもう、そのときの僕を殴りたいんですけど、その方の原稿を勝手に書き換えたんです。僕が面白いと思う文体に、がらっと。

 

―えっ!! それは相当とんでもないですね……!

しかも「こう変えます」って連絡もしないまま公開して、先方からご連絡をいただいてバレたんです。非常によろしくない。それこそ、自分を出す部分と、人に寄り添って魅力を引き出す部分が、ちゃんと整理できてなかったんでしょうね。当時の上司だった安井さんや団さんが謝りに行ってくれて、ちゃんと修正もして、その場は収まりました。これから編集を志す人には、こういうことは本当にやっちゃだめだよと言いたい。いまでこそ笑い話ですけど。最初にアソブロックに勤めたときはそんな感じで、ずっと編集に向いていないなぁと思い続けてましたね。でも、会社を辞めてフリーになったら、結局また編集者をやることになるんです。

つづく

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