団 遊

団 遊
(だん あそぶ)
ホームゲレンデは北志賀夜間瀬。好きなゲレンデは安比高原と志賀高原。スキー板はロシニュール、ブーツはレグザム。
本名 団 遊
おすすめ本 家族の練習問題

団 遊(だん あそぶ、1974年9月25日 – )は、日本の実業家、成長支援家。 血液型はA型。学生時代の愛称は団ちゃん。現在は特にあだ名がない。アソブロック株式会社代表取締役、出版社ホンブロック発行人、株式会社ea代表取締役、有限会社salvia代表取締役、株式会社小さな広場代表取締役、株式会社ヨセミテ代表取締役、株式会社編集七味取締役、特定非営利活動法人きょうとNPOセンター常務理事、新しい家族のカタチを考える会世話人など (21年8月現在) 。

略歴・人物

【大学卒業まで】
児童福祉関係の仕事をする父親の転勤にともない、福知山市、京都市内、宇治市、大津市と引っ越し・転校を重ねる中で育つ。転校のたびに「遊(あそぶ)」の名で苦しむ。中学の転校時には「6組に中国人が転校してきた」と話題にされ、連日「ニーハオ」と声をかけられた。滋賀県立石山高校から龍谷大学法学部に進学。在学中はスキーに明け暮れる。4年次には「よませ全国学生スキーチャンピオンシップ基礎の部男子個人総合」で準優勝。

【小説家時代】
大学卒業後は小説家として大阪府守口市のボロ家で一人暮らしをスタート(大学時代は実家暮らし)。大阪文学学校の夜間部に通いながら、守口市立図書館とボロ家を原チャリで往復し、小説を書くか、本を読むかの生活を半年以上続けた。その間に書き上げた小説を、文芸誌の公募に片っ端から送るが、初期選考すら通らず。唯一の勲章は、息抜きに書いた童話が「日産 童話と絵本のグランプリ」の佳作に入った程度。そうこうするうち、親と友人への借金がかさみ、たまたまコンビニで見かけた雑誌「Hanako west」誌上の原稿の程度が自分より低いと感じ、フリーライターになることを決意。

【フリーライター~クエストルーム時代】
駅前で100枚3,000円で作ったフリーライター名刺を手に、関西のあらゆる出版社・編集会社に挨拶周りをするが、「フリーライターとは」的そもそも論の雨に打たれ、けんもほろろに追い返される。そんな中、唯一「仕事はやらんが、編集部の出入りは許可する」と言ってくれた、アルバイト情報誌an関西版編集部(現在は廃刊)に入りびたる。小咄を手土産に、編集部のみならず、総務・経理の女性にまでランチをたかり、食費を節約。たまに「チラシ折り」の内職を頼まれるほかは、編集部に出入りするライター、カメラマン、デザイナーと雑談をする毎日。そんな日々が半年ほど経過した頃、取材に行く予定のライター・H氏にアクシデントが発生し、止むにやまれず代打を依頼され意気揚々と初ライター仕事に出かける。そこでの仕事ぶりが結果的に評価され、1年後には月収50万円以上を稼ぐまでになった。売れっ子フリーライターとして関西で活躍するも、日々の睡眠時間を削り、テープ起こしを大阪文学学校時代の友人に頼むことでなんとか〆切をクリアする綱渡り生活。あらゆる面でさすがにまずいと、仕事ぶりを見て声をかけてくれた、元ぴあ関西版副編集長・I原氏が起業した編集会社・クエストルームの経営に参画した。

【クエストルーム退任~アソブロック設立】
参画後は、順調に規模拡大を続けるクエストルームにおいて、東京事務所の拡張を目指し27歳で上京。当時、東京事務所は、別の会社のマンションオフィスの6畳間を又借りする規模だったが、人脈と仕事の幅を広げ、1年後には表参道のビルの1室を借りたオフィスに引っ越し。東京事務所のメンバーも10名を超えるまでになった。ちょうどその頃、クエストルームに参画した当初からの目標であった「出版界のシネカノンになる」という目標の足がかりを達成。一区切り付けるため、同社役員を退任し、アソブロック株式会社を設立した。ちなみにアソブロック株式会社の最初の社員・H本氏は、クエストルームの面接を落ちた女性。元同僚から「うちは落ちたけど、悪くないからそっちでどう?」と声を掛けられたことがきっかけだった。

【~現在】
2003年5月のアソブロック設立後しばらくは仕事がまったくなく、H本氏とひたすらオフィスで本を読み、飽きたら鼻くそをほじり、それでも時間をもて余したら鼻くそを交換して楽しむ毎日を過ごす。さすがに読みたい本もなくなってきた頃に、声をかけられた大手人材会社の企画コンペに参加。運よく指名を受けてから、HR(Human Resource)分野での仕事を一気に拡大。その流れは今日まで続いている。2004年には出版部門のホンブロックを立ち上げ処女出版。以降、旧知のデザイナーとデザイン会社を立ち上げたり、服飾雑貨の事業を始めたり、暇な時期に溜め込んだパワーを吐き出すかのように「編集」の応用で多岐な事業を展開し、現在に至る。

主な活動・関心事

大学時代は、それを仕事にしたいと願っていたほどのスキー好き。大学卒業後は、生きることに必死で疎遠になったが、2015年頃に改めて目覚め、以降は毎年、スキーキャンプに出かけたり、大学時代にお世話になったスキースクールにて改めてインストラクターをするなど、いそいそとゲレンデに出かけている。冬場はゲレンデ近くのの宿に泊まり込みリモートワークも行っている。 競馬も高校時代から愛しており、現在、地方競馬の共有馬主でもある。

関連リンク